東京オリンピック男子マラソンに出場する大迫傑選手が、この日をラストレースにする決意であることを発表しました。メダルに期待のかかる選手であり、レース直前のこのタイミングで引退を発表したことで、このマラソンにかける思いや覚悟が感じられました。
さてこちらでは、その大迫選手について学生時代の記録を振り返り、当時のエピソードや名言など、大迫選手の人物像についてお伝えしていきたいと思います!
大迫傑選手学生時代の記録
■大迫傑(おおさこすぐる)
1991年5月23日生まれ 30歳
東京都町田市出身
中学校で本格的に陸上競技を始めた大迫選手は、駅伝の強豪校長野県の佐久長聖高校に進学しました。当時同校の教員と監督を兼務していた両角速監督の熱意に惹かれ、入学を決めたそうです。
両角監督のもとで指導を受けていた大迫選手は、高校2年生の時に全国高校駅伝の最終7区で区間賞を獲得し、チームの初優勝に貢献しました。
翌年、3年生では1区間賞を獲得します。その後、早稲田大学へ進学した大迫選手は1年生、2年生のときに箱根駅伝に出場、1区を走り、ともに区間賞を獲得しています。
大迫傑選手高校時代のエピソード
1番へのこだわり
高校時代の恩師、両角監督が当時の大迫選手について、「とにかく1番にこだわる選手でした。寮の靴置き場も絶対に『1番』の場所を譲らなかった」と語っています。
過去を振り返らない
大迫選手は過去を振り返ることをしない性格のようです。取材者が幼少期やその時々に思ったことについて質問しても、それらをほとんど覚えていないらしいのです。
それはレースについても同じで、通常の選手がポイントポイントでの自分の体調や心情を記憶しているのに対し、大迫選手は細部については「忘れているわけではないけど、意味がないから思い出さない」というスタンスだと語っています。
いつも前だけを見ている一面が伝わるエピソードですね。
思ったことは誰であろうとはっきり言う
先輩であろううと監督であろうと、思ったことははっきりと言う性格であることがわかるエピソードがこちらです。
「大迫さんが3年生のとき、最後の年である4年生の結果があまり振るわなかったんですよ。その時もキャプテンに『それってどうなんですか。そんなんでいいんですか?』って言ってましたね。ただ、実力があるからと言って、めちゃくちゃなことは言いませんよ。思ったことは伝えても、理不尽なことは言わない人です」
当時の早稲田大学は実力主義の風潮が強く、先輩も大迫の意見を参考にしていたという。
「怪我をして実家に帰る先輩がいたんですね。後輩からしたら『なんで帰るの?』という意見が出ても、なかなか言えないじゃないですか。そういう言いたくても言えないことも上下関係なく、大迫さんははっきり言っていましたね。特に怪我をした選手には厳しかったです。例えば怪我をすると練習では走らずにウォーキングをすることが多いんですが、練習のスタート時間は基本的には同じだったんです。それを大迫さんは『練習で走らないんだから、もっと早く来るとか、長く練習するようにしたほうがいい。最低何km歩くように』と伝えていましたね」
「渡辺康幸監督にも『これは違うと思います』と言える唯一の選手でした。自分のコンディションを見て、『今日はこっちの練習をしたいです』ということは2年生の頃から言っていました。普通の選手だと、監督やコーチが決めたものをやるしかないのですが、おかしいと思ったことはきちんと伝えていました。」
出典元:Sports Graphic Number Web
https://number.bunshun.jp/articles/-/840567?page=2
これらのエピソードはほんの一部でしょう。大迫選手は走ることにとてもストイックで、妥協を許さない性格であることが伝わりますね。
その後、個人主義のカラーが強かった大迫選手は4年生になってキャプテンになると、チームのことを気にかけ、それまで自由な気質だったチームを練習内容だけでなく、競技や練習への向き合い方についても、厳しい目を向けるようになります。
「例えば、ジョグの日は個人で自由に行なっていたんですけど、大迫さんがキャプテンになってからは、だらけることがないように集団で走るようになりました。それまで早稲田って他の大学に比べて自由度が高かったんですが、大迫さんがキャプテンになって、緩んでいたものを少しずつ締めていったという感じです」
出典元:Sports Graphic Number Web
https://number.bunshun.jp/articles/-/840567?page=2
とにかく速く走るために何が必要かを考え、そのためにできることはすべて手を抜かずにしていた、そんな大迫選手、凡人にはなかなかできないことをやり遂げる人なんですね。
大迫傑選手名言
日本代表選考レース、MGC。上位2人がその場で代表に内定するいわば“一発選考”のレースで、日本記録保持者の大迫選手は大本命とみられていたにもかかわらず、結果は3位。何度も後ろを振り返って後続を気にする姿は大迫選手らしからぬ姿でした。
3位の大迫選手は、3月までの選考レースで自身の日本記録が更新されなければ内定するという有利な状況で、レースに出ずに結果を待つ選択肢もあったのですが、
「目の前にチャンスがあるのに挑戦しない方がリスク」
これまで拠点にしていたアメリカを離れ、「自分の走りを追求する」という原点に立ち返るため、ケニアで2か月半の合宿を送りました。
「新しい挑戦の裏には、僕にとって負けというものが常にあった。
本当に目の前の練習を積み重ねることでしか速くなれないので、速くなれると信じているからこそ、次の一歩を踏み出せる」
その後、大迫選手は日本新記録を打ちたて、だれにも文句をいわせない完璧なレースで代表の座を勝ち取りました。
ドラマをどう理解するかによるけど、アスリートは自分を主人公にドラマ(ストーリー?)を自分の中で作って頑張る事は必要だと思う。それが応援してくれる人に共有できたらもっといいよね。一つのレースにもっと意味が出るよね。 https://t.co/h5PZjXTGJi
— suguru osako (大迫傑) (@sugurusako) July 8, 2021
「自信のない状況でスタートラインに立つことはあり得ないと、僕は思っています。」
大迫傑選手まとめ
大迫傑選手の学生時代の輝かしい記録とエピソードをご紹介しました。大迫傑選手のマラソンにかける熱い思い、真摯に向き合う姿をお伝えすることができましたでしょうか。
8月8日決戦の日、どうか納得のいく走りができますよう、心から応援したいと思います。
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