ダイアナ妃はなぜ死亡したのか?その死因について調べました。
1997年8月31日、パリ市内を走行中、ダイアナ元英皇太子妃(Princess Diana)と交際相手ドディ・アルファイド(Dodi Al-Fayed)氏が乗ったメルセデス・ベンツがトンネル内で衝突し、その後死亡が確認されました。
ダイアナ妃が死亡した理由(死因)について考察をまとめました。
ダイアナ妃なぜ?死亡した理由
事故は1997年8月31日にパリで発生。ホテル・リッツから車で移動していたところ、数人のパパラッチ(カメラマン)から追跡を受け、それを振り切ろうとしてトンネルの支柱に激突して車は大破した。乗っていたダイアナ妃と当時の恋人のドディ・アルファイド氏、運転手のヘンリー・ポール氏が死亡した。
※JCASTnews から引用 https://www.j-cast.com/
1997年8月31日、朝から衝撃的なニュースが飛び込んできました。
世界中で人気、話題を読んでいたダイアナ元英皇太子妃(Princess Diana・享年36)は、ウィリアム王子とヘンリー王子のふたりの愛息を残して突然旅立ちました。
ダイアナ妃が乗車していたメルスデス・ベンツの前方部分は無惨なまでに大破しました。その画像から事故の衝撃の強さがわかります。
法医学博士のリチャード・シェパード氏は、以前ダイアナの死因について調査した人物のひとりです。
シェパード氏は、小説仕立てで執筆していた著書「Unnatural Causes」の中で、事故当時の様子を伝えています。
事故を起こしたメルセデス・ベンツに乗車していたのは、ダイアナ妃、ダイアナ妃の恋人のシェパード氏氏、運転手、ボディガードの4人でした。
衝突したときに、シートベルトを締めていたのは唯一生き残ったボディガードのみだったと記述しています。通常であれば、ボディガードはシートベルトを締めないのが通例ですが、パパラッチを撒くために運転手がスピードを上げ続けたため、身の危険を感じて「事故前の一瞬」で締めたと言われています。
トンネル内の中央分離帯に衝突した際、運転手は胸部をハンドルに強打した後、後部座席に座っていた大柄なアルファイド氏が飛び出してきたことにより、「エアバッグ代わり」となって即死しました。
前部座席まで飛び出したときの、運転手にかかった負荷は相当なものだったと予想されます。ドディ・アルファイド氏も、この時に同じく即死しました。
ダイアナ妃の不運
一方、ダイアナ元妃も後部座席から放り出されたものの、アルファイド氏より体重が軽かったため致命傷となるほどの衝撃ではなかったようです。
ダイアナ妃は体の数カ所に骨折や裂傷を追いました。肺の最奥に小さな傷を負ったのですが、それが致命傷になりました。その位置が少しずれていれば、または、走行中の車がほんの少し、速度を落としていたら、最悪の事態にはならなかったのではないかと思います。
現に、ダイアナ妃の死因究明の審問では、事件の目撃者はダイアナ元妃が事故直後に生存しており、「Oh my God(オーマイゴッド)」と何度も繰り返していたとの証言がありました。死亡した運転手とドディ・アルファイド氏とは違い、即死ではありませんでした。
もし、元ダイアナ妃がシートベルトをつけていたら、ダイアナ妃がシートから投げ出されなければ、
「おそらく肋骨が折れて少し息が不自由、骨折した腕を包帯で釣った姿で彼女は2日後に皆さんの前に現れたでしょう」
と前述のシェパード医師は話しました。
ダイアナ妃なぜ?死亡した理由:まとめ
ダイアナ妃の死因について考察をまとめました。
パパラッチの報道合戦やプライバイシーの侵害など行き過ぎた行動が引き起こした悲劇ですが、それもこれも、ダイアナ妃がロイヤルファミリーきっての人気者であったことが原因かと思うと、なんとも皮肉でやりきれない気持ちになります。
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